2016.03.09
先日、1980年のアメリカのテレビドラマ『将軍 SHOGUN』の安い中古DVDを見つけられて、うれしかった。俳優たちは質の高い面々で、セットや時代考証、ロケ地もすばらしくて驚いた。同時に思ったのは、この作品のもとになった物語──ウィリアム・アダムス(三浦按針)の生涯──は歴史がときおり後世に伝えてくれる目をみはるようなものだということだ。
でも、ぼくはここで『将軍』の批評を書こうとしているわけではない。「按針さん」をめぐって第1話に出てくる愉快に感じたエピソードについて書きたかったのだ。彼は小便をかけられたばかりだというのに、浴槽に入りたがらなかった。「浴槽に入ると病気になる」と思っていたからだ。
アダムスとオランダ東インド会社の船員仲間の人生を描いたジャイルズ・ミルトンのすばらしい本があるが、その中にも彼らが風呂に入ることを最初はこわがっていたけれど、しばらくして好きになったという話が出てくる。
ぼくの通っていた学校にいつも同じ話をする歴史の先生がいて、その人が好きだった話のひとつがエリザベス1世についてある外交官が書いたことだった。「女王は月に1度はお風呂に入られる。必要であってもなくても!」
按針が風呂に入りたがらなかったことも、エリザベス女王が「潔癖症」だったらしいことも、なんとも愉快な話だ。
けれども、ぼくが子どもだったころを振り返ると、ぼくらは不潔というわけではなかったと思うが、今の基準からすれば決して清潔ではなかった。「お風呂の夜」の話をするのがふつうだったのを覚えている。「1週間のうちで風呂に入った夜」のことだ。ぼくが通っていた小学校では、たくさんの子の家で風呂に入る夜が決まっていたが、わが家は1週間に1度とかいう感じだった。
体育の授業でサッカーをして、健康な汗をかいたあと、すぐに制服に着替えていたのを覚えている。風呂に入るのは何日かあとだったかもしれない。風呂は面倒くさいと思っていて、前の日にプールで泳いだと言えば入らずにすんだことがあったのも覚えている(塩素につかっていれば十分だったようだ)。
シャワーのある家はほとんどなかった。シャワーはアメリカのテレビドラマに出てくるものだったり、中流階級の上のほうのものだと思っていた。中等学校に入ると、運動のあとにはシャワーを浴びろといわれるようになり、ちゃんと浴びたかどうか先生たちにチェックされた(男子のなかには浴びずにすまそうとする子もいた)。
大学の寮にもシャワーはなく、浴槽が(だいたい)7人にひとつあった。それで十分だった。ほとんどの学生が風呂に入るのは、週に2回くらいだったからだ。風呂を使いたいときに誰かが鍵をかけて使っているということはほとんどなかったが、そんなときは廊下の向こう側か別の階の風呂に行けばよかった。どこか必ず空いていた。
よく覚えているのは、大学にふたつある「近代的」な寮がちょっと面倒だったことだ。ひとつのフロアに(風呂ではなく)シャワーがふたつあり、ほかの寮に住んでいた外国人留学生がタオルと石けんを持って使いに来るのだ。その建物に部屋のあった学生にしてみれば、迷惑な話だし、やりすぎだった。
もちろん、今のぼくは毎日、風呂かシャワーを使っている(日本にいるときは銭湯にもよく行く)。
16〜17世紀の人たちが風呂に入らなかったことを考えると驚くけれど、ぼく自身の数奇な入浴の歴史はもっと驚きだ。
1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。著書に『「ニッポン社会」入門』、『新「ニッポン社会」入門』、『驚きの英国史』、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>』など。最新刊は『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(小社刊)