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Buatsui Soup | コリン・ジョイスのブログ

ボート・レースの憂鬱

2018.03.30

毎年ぼくが観戦する試合がある。見逃さないようにする理由はふたつ。まず、どう転ぶかわからない競技だから。そして、毎年ひいきのチームが決勝に進出するから。オックスフォード大学対ケンブリッジ大学のボート・レースのことだ。

ぼくの母校のオックスフォードが毎年"決勝に進出"という自慢は、言うまでもなくジョーク。オックスフォードとケンブリッジだけの対抗戦だからだ。こういう宿敵どうしの果し合いは世界じゅうに見られるけれど、イギリスではかなりめずらしい。いちばん近いのが陸軍対海軍のラグビー対決だろうが、知名度の高さではくらべものにならない。イングランド対スコットランドのサッカー対決も、かつては盛大なものだったが、観客による騒動と対立の激化のせいで、1989年以降は毎年の開催ではなくなった。

これが、ザ・ボート・レースが異色の存在である理由のひとつだ。また、イギリスで行なわれるボート・レースはいくらでもあるのに、"ザ"・ボート・レースと言えば誰もがオックスフォード対ケンブリッジのことだとわかるのも、特異な点だ。どちらかの大学にかよった人の数がどれだけ少ないかを考えると、何百万もの人たちが毎年TV観戦するなんて驚きだ。試合の解説者までが、このレースを"風変わり"と評し、なぜ観るに値するのかを説くのに多大なエネルギーを費やす。

レースについてこと細かに論じはしないが(著書『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』でかなり詳しく述べている)、ぼくの第一の理由、すなわちどう転ぶかわからないという点は強調しておきたい。レースが波乱含みなのは、早春の感潮河川での、おそろしく長距離のレースだから。オリンピックのボート競技の"エイト"(漕手8名と舵手1名)は通常、穏やかな水上の2kmで競う。オックスフォード対ケンブリッジはテムズ川での6.8kmの競技なので、驚異的な体力、技術、戦略が求められる。春の上天気に恵まれる年もあれば、ひどく寒い年もある。流れがごく穏やかなときもあるけれど、波が立って油断ならないときもある。いずれにしても、ボートの進行を促す最速の流れがどこにあるのかを見つけなくてはならない。

沈没もありうることでも有名だ。ケンブリッジが沈んだのは1978年。1912年には両校が沈んだ(再試合でオックスフォードが勝った)。2016年にはケンブリッジの女子チームが勝利かと思われたが、大量の浸水に見舞われたせいで数分間ほとんど前進できずに、オックスフォードに置いていかれてしまった。

というわけで、昨日は期待に胸をふくらませながら"ザ・ボート・レース"をTV観戦した。いや、今ではBBCが女子のレースも男子と同じように放送するから、ボート・レースを2試合観たと言うべきか(リザーブ・レース《控え選手によるレース》も同じ日に開催されるが、中継はされない)。試合前のコイントスで女子も男子もケンブリッジが勝って、やや有利なスタート位置を選ぶ権利を得た。これはつまり、レース中盤の長いカーブで内側のレーンを進めるということ。だがもう一方のチームは、最初の短いカーブではやや有利になる。だからそれを利用して序盤で先行できれば、相手の有利な立場をくつがえすことも可能だ。勝つにしろ負けるにしろ、あまたの展開がある。

今年は女子も男子もスタートからケンブリッジが先行し――不利なはずの序盤から先行し――そのまま最後まで逃げ切った。オックスフォードは女子も男子も差を詰められそうもなく、ケンブリッジは女子も男子もリードを譲りそうになかった。挙げ句の果てに、リザーブ・レースまで男女ともケンブリッジが制する始末。かくして過去最悪のレースとなった。前代未聞のできごとも胸躍るできごともなく、ぼくのひいきのチームが敗れ去った。

というわけで復讐劇を見届けるために、来年もぜったいに観戦しなくては。

連載
コリン・ジョイス Colin Joyce
コリン・ジョイス
Colin Joyce

1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。著書に『「ニッポン社会」入門』、『新「ニッポン社会」入門』、『驚きの英国史』、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>』など。最新刊は『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(小社刊)