三賢社

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Buatsui Soup | コリン・ジョイスのブログ

フットボール界の悲劇

2018.11.01

大まかに言うと、フットボールのファンがクラブチームのオーナーに(そしてプレイヤーに)求めるのは、ファンに匹敵するほどの愛情を注ぐことだ。

だからチェルシーのファンは、ロマン・アブラモヴィッチのもとでチームが隆盛を極めようと、オーナーに心を許さない。アーセナルのファンは"だんまり"スタン・クロエンケに親しみを覚えず、マンチェスター・ユナイテッドのファンはグレイザー一家を嫌い、ニューカッスルのファンはマイク・アシュリーに憤る。そしてレスターのファンは、タイ人オーナーのヴィチャイ・スリヴァッダナプラバが、土曜日のホームゲーム直後のヘリコプターの墜落事故で亡くなったことにひどく動揺している。

オーナーがクラブにどれほど金銭をつぎ込んだか(あるいは引き出したか)だけが問題ではない。オーナーの支配下でクラブが発展したか(あるいは衰退したか)だけがだいじなわけでもない。もちろんそういうこともだいじだけれど、肝心なのはそこではない。何よりもクラブのためを思っていることが、ひしひしと伝わってくるかどうかなのだ。どんな状況でもチームを見限らないのか、それとも自分の都合しだいで来ては去っていくのか。何度か期待外れの結果に終わると、気まぐれに監督を首にするのか。もっとひどいと、自分の関心のなさゆえに、お粗末な指揮をだらだらと続けさせるのか。

試合に足を運び、展開を気にしているようすか。言い換えれば、チームのファンと同様にふるまっているか、それともチームを金を生むビジネスとしか、あるいは数百万ポンドの遊び道具としか見なしていないようなのか。

スリヴァッダナプラバ氏は、こういう判断基準をあらゆる面で大きく上回った。レスターを買収したのは、クラブが3部リーグで低迷していたころだ。資金を賢く投入し、クラブに活気を取り戻し、地元に貢献し、ファンに慕われた。思い切った決断に疑問を呈する向きもあったが、傲慢な、とりあえずの、行き当たりばったりの決断ではなかった。

ここ数日みんなが口にするとおり、氏の舵取りのおかげで"不可能が可能になった"。2016年のレスターのプレミアリーグ優勝は、スポーツ史でも指折りの、まさかのできごとと言える。おそらくはかつてないほどのすばらしき番狂わせであり、まさかとしか言いようのない偉業だ。

ヴィチャイ・スリヴァッダナプラバという名前を初めて耳にしたときは、ぼくらイギリス人には覚えにくいだろうと思った。いまでは、忘れ得ぬ名だ。

連載
コリン・ジョイス Colin Joyce
コリン・ジョイス
Colin Joyce

1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。著書に『「ニッポン社会」入門』、『新「ニッポン社会」入門』、『驚きの英国史』、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>』など。最新刊は『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(小社刊)