2016.03.25
ぼくはブリュッセル空港で起きた爆破テロのニュースを見ている。
これから書くのは、前回、羽田空港から飛行機に乗ったときに「起こった」本当の出来事だ。
ぼくは店が並ぶ通路を過ぎ、手荷物のセキュリティチェックを通過し、搭乗口に向かっていた。すると、そのあたりの通路の真ん中に、中ぐらいのスーツケースがぽつんと置かれていた。
誰のものであれ、持ち主がこのスーツケースの近くにいて注意を払っているわけではなかった。ぼくは立ち止まって30秒ほど見ていたのだが、誰もスーツケースを取りに来なかった。持ち主は近くの店にいるか、最寄りのフードコートで列に並んでいるのだろう。
この状況を見て、ぼくは不安になり、怒りもわいてきた。このご時勢に、自分の荷物から何十センチも、あるいは何秒も離れるべきではないのだ。
ぼくはさらに通路を歩き、そのあたりから事の成り行きを見守った。3分ほど人の流れが続いたが、みんな何も気にすることなくスーツケースのそばを通りすぎていった。通路が混んでくると、ときおり人々は突然スーツケースに気づいて止まり、よけるようにして歩かなくてはならなかった。
このスーツケースは明らかに保安上の問題ではないのかと少しでも思った人は、ひとりもいないようだった。スーツケースのことは気になったが、手荷物検査を通ったのだから大丈夫に「ちがいない」と思いなおしたようにみえる人がひとりもいなかった──という意味ではない。誰も立ち止まらなかった。目を向けることもなかった。スーツケースをよけて歩かないといけない人もいたのに。
そこへ、あるフライトのクルーがやって来た(たまたま、ぼくが乗るエールフランスの乗務員だった)。彼らもそのスーツケースのわきを通りすぎていった。だいたい10人くらいいた。
ここまでくると、ぼくは誰かに伝えなくてはと思い、気が動転していた。そうしたら、制服を着た空港のスタッフが歩いてきた。左右に目をやることなく、ひたすらまっすぐ歩いている。ほんの一瞬だけ、彼が保安係なのか、清掃担当者か何なのかを確認する時間があったが、ぼくにはわからなかった。彼のバッジには「JSS」とあった。いま調べたら、保安担当者だった。ぼくが呼び止める間もなく、彼は行ってしまった。
ぼくは怒りと不安で気分が悪くなってきた。そんなとき少し離れたところで、ふたりのアメリカ人観光客が免税カウンターのスタッフに、そこにあるスーツケースは「10分くらい」ほったらかされていると(英語で)言っているのが聞こえた。
ぼくがスーツケースに気づいたのは5分くらい前だったろう。アメリカ人観光客はスーツケースをぼくより長い時間眺め、ようやく人に伝えたのかもしれなかった。彼らはぼくに、「みんな、ただ通りすぎていく」のが信じられないと言い、「不審な物を見つけたら、誰かに言え」という安全対策のお決まりの標語を繰り返した。
免税カウンターの人たちがいるところから、スーツケースは見えない(気づかなかったとしても罪はない)。でも免税カウンターのスタッフは、アメリカ人が他人のスーツケースについて何か言っているという不思議な出来事に戸惑っているようだった。それから、同じことを今度は怒った口調の日本語で繰り返すぼくの「過剰反応」に戸惑っていた。
もちろん、免税カウンターのスタッフが見に行ったころには、スーツケースは消えていた。持ち主がほんの少し前に持っていったのだ。ぼくは確信しているのだが、スーツケースのそばを通って飛行機に乗ったり、家に帰ったりした人たちのうち、この出来事を覚えている人はいないだろう(ぼくと若い観光客のカップル以外は)。
なぜテロリストは安全にみえる場所で犯行に及ぶことができるのだろうと思ったときには、持ち主のわからないスーツケースが空港で何分も放置されていても誰も気にしない場合があることを思い出すといい。
1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。著書に『「ニッポン社会」入門』、『新「ニッポン社会」入門』、『驚きの英国史』、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>』など。最新刊は『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(小社刊)