三賢社

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Buatsui Soup | コリン・ジョイスのブログ

インヴィンシブルの記憶

2017.03.05

アーセナルは早まってアーセン・ヴェンゲルを追い出すべきではないと異を唱えながらも、ぼくは近年のアーセナルにどうしてファンが苛立っているのか、わからないふりをするつもりはない。ぼくらはそう遠くない過去に、けた違いの経験をしてしまったのだ。

"インヴィンシブル"(無敵)という基準に照らして評価するのは、どんなチームに対してだってフェアじゃない。唖然とさせられるばかりの空前絶後の偉業、どれほど傑出したチームでも、あんなことをやれる見込みは低い。毎年シーズンの始まりには、7試合かそこらまでは負け知らずのチームがひとつはあって、ぼくはそのたびに「げっ! まさか……?」と気をもむ。だが、かならず記録は途切れる。あるときは意外な、あるときは予想どおりの相手に敗れて。

だから、今でも2003-04シーズンのアーセナルは、イングランドのリーグの1シーズンまるごと――全38試合を――無敗で頂点に立った、現代のイングリッシュ・フットボール界で唯一のチームだ。(プレストン・ノースエンドも1888-89シーズンを無敗で通したが、1シーズンに22試合しかないころの話だ)

あの年のアーセナルは並外れたチームだったが、それでも無敗を保てたなんて信じがたい。ビューティフル・フットボールの所産でもあったが、幸運にも恵まれたし(オールド・トラッフォードで、ファン・ニステルローイが終盤にPKを外してくれた)、つねに高潔だったわけでもない(ロベール・ピレスがポーツマスに快く思われていないのは、ポーツマスがみごとな勝利を収めようとしていたときに、ピレスのダイヴでアーセナルに同点のPKがもたらされたからだ)。しかしそれが偉大なチームというもの、勝利をつかむ道をなんとかして切り拓く。勝利を重ね、ことがうまく運ばない日は、何がなんでも引き分けに持ち込む。そして、波に乗ったときのアーセナルの"繊細にして強靭な"プレーには、たまらない魅力があった。

"インヴィンシブル"が一大事になったのは、少なくともぼくに関しては、あとになってからにすぎない。当時のぼくが見守っていたのは、アーセナルがリーグで優勝できるかどうかだった。確かにシーズンの最終試合は覚えている。すでに降格が決まっていたレスターとのホームゲーム、シーズンに"有終の美を飾る"試合として負けてほしくなかった。(アーセナルが逆転しなくてはならないという、ひねりの効いた幕切れ)だが正直言って、もしアーセナルが6試合を残してリーグ優勝を遂げ、あとの6試合を落としたとしても、ぼくは満足だっただろう。

当時のぼくにしっかりわかっていたのは、異彩を放つチームを応援するのがどれだけ心弾むものかということ。困惑顔のオーストラリア人の友達に説いたのを覚えている。仕事のストレスをしこたまかかえていようが、人生に何が起きていようが、調子がよかろうが悪かろうが、試合が始まればどうでもよくなる。「ティエリー・アンリの率いる面々が、ぜんぶ吹っ飛ばしてくれるんだ」、と。

今ではもう、あの数々の試合、あのプレーヤーたちも、歴史のひとこまなのだ。

連載
コリン・ジョイス Colin Joyce
コリン・ジョイス
Colin Joyce

1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。著書に『「ニッポン社会」入門』、『新「ニッポン社会」入門』、『驚きの英国史』、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>』など。最新刊は『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(小社刊)