2017.07.23
クロスグリに続いて、はるかに扱いやすいセイヨウスグリの収穫期を迎える。
セイヨウスグリについては、鳥との取引の余地は一切なし。クロスグリよりもずっと小さな茂みを――詳しく言うと2本の木が一体化した茂みを――ぼくが防獣ネットですっかり覆ってしまったから、鳥は手を出せない。
去年のセイヨウスグリの収穫はたしか80粒ほどだったので、1日にひとにぎりほど食べるうちに数週間でなくなり、冷凍してとっておくこともなかった。分け合う余裕なんてないのだ。(対してクロスグリの収穫量はというと定かではないが、たぶん2000粒を超える)
何よりこのセイヨウスグリは、ぼくがみずから庭の仲間入りをさせた宝物だ。ぼくがこの家に来たとき、すでにクロスグリは庭にあった。同じくすでに植えられていたリンゴの木は、あまりにもたくさん実をつけるので、じつのところ重荷に感じている。
姉が冗談まじりにセイヨウスグリの苗をくれたのは、当初ぼくが庭にセイヨウスグリが生えているなどとほざいていたからだ。熟す前のクロスグリは緑色なので、セイヨウスグリに似ていなくもない。ほんとうはクロスグリなのに、濃い紫色の実をつけるセイヨウスグリ(!)が生えているのだと、ぼくが2年近くものあいだずっと信じ込んでいたという話は、家族の笑いの種になった。
そうしてぼくはもらったセイヨウスグリを庭に植え、4年間水をやって育ててきた。今年になってようやく苦労が報われ、およそ200粒は実っている。そう聞いても豊作とは感じられないかもしれないが、セイヨウスグリの実はぼってりとして、大きさがブドウほどもある(たとえとして最初に思い浮かぶのは、ブドウではないけれど)。
セイヨウスグリの栽培はむずかしくはない。打たれ強く、庭のなかの一等地を用意してやらなくてもいい。そのまま食べるには甘みが足りないので、大人気というわけではない。お金を出して買うようなものではなく、イギリスでかご盛りで売られているのを見たのは一度きりだ。消費するにはたいがいジャムに加工"するしかなく"、じつに厄介だ。ぼくの場合は、バナナと少量のはちみつと混ぜてスムージーにしてしまう。
つまり、ぼくはセイヨウスグリがどんな味なのかを知らないとも言える。ということは自分がセイヨウスグリを好きなのかどうかも、よくわかっていないのだ。だけどそんなことはどうでもいい。ぼくの、愛しきセイヨウスグリなのだから。
1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。著書に『「ニッポン社会」入門』、『新「ニッポン社会」入門』、『驚きの英国史』、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>』など。最新刊は『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(小社刊)