2018.03.19
スティーヴン・ホーキング博士の死去が、世界じゅうで話題になっている。博士に関する独自の見解を持っているわけではないけれど、じつに偉大な物理学者だったという認識はある。とはいえ、天体物理学はしろうとには理解するのがむずかしい分野として知られているので、博士の世界規模の名声は明らかに、専門分野での画期的な研究だけによるものではなく、尋常ならざる逆境の克服によるところも大きい。博士はブラックホールについて何も知らないあまたの人たちにとっても、感動をもたらす勇者だった。
べつの意味でも並外れた学者というだけにとどまらず、文化を象徴する存在でもあった。アニメの『ザ・シンプソンズ』やドラマの『ビッグバン★セオリー』に登場し、最近では前半生を描いた映画『博士と彼女のセオリー』も制作されている。博士は冗談で、この映画の唯一の不正確な点は、主演のエディ・レッドメインよりも自分のほうが男前であることだと言った。ジョークの才は、イギリス人としてだいじな資質だ。博士のジョークを好む"深刻"すぎない人柄が、ぼくらは好きだった。
2014年に女王に謁見した際にも、気の利いた有名なひとことを残した。女王から、今でもアメリカ英語のアクセントで話すのかと問われると、この話しかたで著作権を取得済みですと答えたのだ。おそらくコンピューターによるあの"声"は、世界でもいちばん持ち主の特定が容易だろうが、じつはイギリス人の耳にはかなりアメリカ人っぽく響く。博士の"声"を出していた音声システムは、30年以上前に博士が採用した当時はまだ開発の初期だったので、あの声しか選択の余地がなかった。のちの技術の進歩とともに、もっと自然な(アメリカ人っぽくない)音声に変えることもできたのだろうが、博士はそれまでの声にずいぶん助けられてきたこと、自分の特徴の一部になっていることから、そのまま使い続ける道を選んだ。
著書の『ホーキング、宇宙を語る』は、学術書がベストセラーになった希少な例だ。売り上げは1000万部を超えたが、これは必ずしも1000万人が読んだことを意味するわけではない。1980年代のイギリスにおける通説では、みんなが天体物理学の知識を得ようとしてこの本を買うけれど、理解不能なのでけっして読了できないとされていた。ぼくの記憶が正しければ、"64ページの会"なるジョークもあった。はるかそこまで読み進んだ、選ばれし者たちというわけだ。
最近たまたま知ったのだが、博士はケンブリッジ大学の学者として有名ではあるが、生まれはオックスフォードで、オックスフォード大学の学部生として学んだあと、ケンブリッジ大学に進んだ。オックスフォード大学での3年間の勉強時間は、本人の推定で約1000時間と言われている(1日に約1時間ということになる)。ぼくがオックスフォード生だったころの、怠け者の学部生の勉強時間よりも少ないのだが、両者の違いは、博士が勉強に時間を費やさなかったのは専攻科目があまりにも簡単すぎると感じたからで、卒業時には最高の成績を取ったという点にある。
1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。著書に『「ニッポン社会」入門』、『新「ニッポン社会」入門』、『驚きの英国史』、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>』など。最新刊は『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(小社刊)