2016.05.17
ジョージ・オーウェルはぼくが個人的に敬愛する(けっこうありがちな)ヒーローだが、それほど広く名声を得ていない別の作家もぼくは大好きだ。ラドヤード・キプリングである。
ぼくの好きなこのふたりが「作家」というだけでなく、ジャーナリストでもあったことは偶然ではないと思う。オーウェルはイブニング・スタンダード紙にコラムを書き(すでに小説とノンフィクションの作家として有名になったあとだ)、キプリングは英領インドの新聞で働いたのちに作家・詩人として有名になった。ぼくがこのふたりを尊敬する理由のひとつは、ふつうの読者と対話したいという姿勢をキャリアを通じて貫いた一方で、作品にはほとんどといっていいほど自己顕示がなかったことだ。優れたジャーナリストとはそういうものだと思う。
キプリングのことを「世に認められなかった」作家というのは、まちがっているだろう。彼は生前、非常に有名だったし、ノーベル文学賞も手にしている(1907年)。だが現在は、キプリングが大英帝国の作家だったということから、その評価にいささか傷がついている。
彼はインドの暮らしをつぶさに観察し、人々の「種類」や特徴を誠実に記録した。しかし植民地に住む横柄で無能なイギリス人をからかったり、インドの土地と人々のことを愛情こめてつづっているときでさえ、キプリングは帝国主義そのものの倫理性を真っ向から問いただしていない。だからいま彼の作品は、イギリスの不名誉な、そしてあまりに最近の過去を思い出させる厄介なものとみられている。
キプリングは多作だったが、そのために質を犠牲にすることはなく、いくつものジャンルで活躍した。彼は短編小説もノンフィクションも、児童文学も詩も書いた。キプリングの作品で日本人に最も知られているのは『ジャングル・ブック』かもしれない。ディズニーの映画になっているからだ。しかし彼のすばらしい短編「王になろうとした男」も映画化され(ぼくのお気に入りの一本だ)、イギリスを代表するふたりの男優ショーン・コネリーとマイケル・ケインが共演するという異例の栄えある作品になった(ついでにいえば、ケインの妻シャキーラも出演している)。
ぼくは映画を見たあとに本を読み、キプリングがこの偉大な発想を、詳しい記述と起伏に満ちた長い小説を書かずに絞りだしたことが信じられなかった。炸裂させるアイデアがたくさんあったのだろう。
キプリングの書くものは明晰で、遠慮がない。彼は記憶に残るフレーズをつくりだすことができた。たとえば「白人の責務」という言葉は、あちこちで使われている(これは議論の多い詩の題名で、帝国主義を率直に正当化した作品だともいわれるが、ぼくはそうは思わない)。
キプリングは、人の口まねも面白くできた。彼の詩「トミー」は、あるふつうの兵士の口調によって(そしてこの兵士の目線から)つづられている。兵士は世間から下にみられているのだが、ひとたび戦争が始まったら英雄としてほめそやされる。
キプリングの詩のいくつか(たとえば「マンダレー」や「ガンガ・ディン」)は歌にもなり、彼の作品がそのまま歌詞になっている。
ぼくは先日、キプリングの詩「もし」の好きな一節を思い出そうとした。少年がりっぱな大人になるために勝ち得るべきことをあげている詩だ。
その一節はこれだった。
もし、きみが栄光と惨劇に出合い
そのふたつの虚構を同じように扱えるなら……
まさに!
この詩を読み返してみて、驚いたことがいくつかあった。まず、詩全体に「むずかしい」言葉がほとんどなく、大げさで派手な表現もなく、その点が作品を身近で心に残るものにしていることだ。
第二に、この詩に書かれている「父から息子への助言」は現代にもそのまま通じるものばかりで、戦争と帝国主義の時代だからこそ言えるものや、そんな時代にしか当てはまらないものはひとつもないと思った。
第三に、声に出して読まずにはいられなかった。リズムを耳で聞きたかったし、言葉の力を肌で感じたかったからだ。
1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。著書に『「ニッポン社会」入門』、『新「ニッポン社会」入門』、『驚きの英国史』、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>』など。最新刊は『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(小社刊)