2016.02.04
ぼくはデフレをずいぶんと経験している。日本に住んでいたころは、ほとんどデフレが続いていた。今はイギリスがデフレ傾向にある。昨年は、年率換算にしてインフレ率がマイナスだった月が3カ月あった。ときどきインフレ率がゼロになることがあり、プラスでもマイナスでもないこの状態をどう呼ぶべきか、みんな困っていた(一般に広まった呼び名は「ノーフレーション」だ)。
不思議なことだが、イギリス人はデフレについてほとんど理解していない。物価が全般的に下がるという経験をしたことがないのだ。むしろ、ガスや電気料金、電車の運賃やビールの値段が毎年上がることに慣れている。一方、日本ではデフレしか知らずに育った世代がいる。
実をいえば、ぼくはデフレがけっこう気に入っている。自分が貯めたお金の価値が下がらないのはいいものだ。インフレ率が5%くらいだったとき、ぼくの預金の金利はいちばん高いものでも3%もなかったから、お金を盗まれたような気分だった。
ぼくの印象では、1990年代半ばの日本は物価を緊急に見直すべき国だった。初めてぼくが来たころ、日本の物価は(イギリスに比べると)ばかばかしいほど高かった。今の日本は、一部のモノの値段はとてもリーズナブルになっている。外国人旅行者が増えている理由のひとつでもある。
もちろん経済の常識からいえば、デフレが長引くのは危険なことだ。それは主に、負債の返済がむずかしくなるためだ。でもぼくは思うのだけれど、そもそも人々は(あるいは企業や国家は)大きな負債を抱えることに慎重になるべきではないか。国家が巨額の負債を抱えているのに、インフレで借金を帳消しにしようとするのは、モラルハザードでしかない。浪費家の尻ぬぐいを倹約家に頼むようなものだ。
もうひとつデフレの危険性についてよく耳にする主張は、消費者は待っていればモノの値段が下がると考えるので買い控えをする、というものだ。本当にそうだろうかと、ぼくは思う。5年前に、ぼくは大きくてすてきなプラズマテレビを400ポンド(現在のレートで約6万9000円)で買い、10年もたせようと思った。先日、もっと画面が大きくて、軽くて薄いテレビを見つけた。機能は増え、画質はよくなり、LEDを使っている(電気代が安くすむ)。価格は369ポンド(約6万3500円)。モノは安くなるという格好の例だ。
でも、そのときぼくが思ったのは「もっと待てば、もっと安くなるんじゃないか」ではなく、「わ! わが家の壁にかかっているあのおんぼろを取り替えるべきときが来たかな」ということだった。
1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。著書に『「ニッポン社会」入門』、『新「ニッポン社会」入門』、『驚きの英国史』、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>』など。最新刊は『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(小社刊)