2016.06.27
何年か前、デパートでジーンズを買った。すごく安くなっていたし、はきごこちが非常によく、見た目もなかなかだったから、かなり気に入った。
ところが数日後、新聞である記事を読んで、このジーンズをはく気がまったく失せてしまった。記事によれば、赤いズボン(ぼくが買ったジーンズは赤かったのだ)は、大多数のイギリス人にはおかしなファッションだと思われており、もっと重要なことに、上流階級の人がはくものとみられているという。
ぼくは新聞に書かれていることを何でも信じるわけではないし、ファッションにあまり関心があるわけでもないが、まわりの人がぼくのことを上流階級だと思う可能性があるなら、ここはとにかく慎重になろうと決めた。
そこでぼくはジーンズをタンスにしまい、新聞に書かれていたことの証拠はあるだろうかと考えた。言われてみれば、ロンドンに行ったときに目にする赤いズボンをはいた男性は、みんなまちがいなく上流階級だ。そんなわけで、ぼくのジーンズは長いこと引き出しの中で眠った。
イギリスはもう階級社会ではないと言われることもあるが、人々の社会的背景を判断できる「目印」はあり、外見もそのひとつだ。若い男性の「ビッグ・ヘア(ボリュームを出すヘアスタイル)」は上流のもので、短い髪は労働者階級のもの。寒い日にもTシャツを着るのは労働者階級。バーバリーは以前は上流向けのブランドだったが、今はお金があることをひけらかしたい下の階級の人たちも着るようになった。そんな具合。イギリス人は着ているものを見て、他人を判断する。
ところが先日、ぼくの中の「ケチ野郎」がむくむくと起き上がった。お金を出して買ったのに使っていないものがあるという事実に、ぼくは耐えられなくなってしまったのだ。そこで、住んでいるエセックス州コルチェスターの町で、赤いジーンズを試しばきしてみることにした。
ぼくが考えたのは、ファッションの移り変わりは早いから、赤いズボンは上流階級のものという見方も変わっているかもしれないということだ。今では赤いジーンズはロックスターがはくものということになっているかもしれない。それに、コルチェスターには上流階級がそれほどいないから、たいていの人は赤いズボンに与えられた不幸な意味合いを知らないのではないかとも思った。
外に出てみたが、けっこう緊張していた。自分にわかる範囲では、ぼくのことをじろじろ見たりする人はいなかった。でも一方で、ほかに赤いズボンをはいている人がいないことも確かだった。
町に買い物客がたくさん出ている日で、ぼくは1時間ほどのあいだに何百人もの男性の姿を目にしただろう。そうしたら、赤いズボンをはいた男性がようやく1人いた。
ぼくの頭にパッと浮かんだ思いは、「あ、上流のバカがいる」だった。
1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。著書に『「ニッポン社会」入門』、『新「ニッポン社会」入門』、『驚きの英国史』、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>』など。最新刊は『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(小社刊)