2016.12.15
ぼくは大のディランファンというわけではないが、彼がノーベル文学賞を獲得したことには興味をそそられた。たまたま発表の前日に彼のことを思い浮かべていたのだ。きっかけはYouTubeでアイルランドのフォークミュージックを聴いていたことだった。ドミニク・ビーアンの歌を探していたぼくは、「リヴァプール・ルー」(売春婦に恋した男という、やるせないテーマの美しくも哀しい歌)から、「マカルパイン・フュージリアーズ」(英国を"建設した"アイルランド人労働者たちのつらい生活についてのややコミカルな歌)、そして名曲「パトリオット・ゲーム」(死にゆく若きアイルランド人反逆者の視点から歌ったもの)へと移っていった。そこで初めて「パトリオット・ゲーム」はディランの代表曲「神が味方」にちょっと似ていると思ったのだ。果たせるかな、この曲は物議をかもし、ビーアンはディランを盗作で訴えていたのがわかった。
べつにその論争に立ち入ろうというのではなくて、この話をするのはそのとき2003年のある興味深い出来事を思い出したからにすぎない。当時ディランは日本の著述家、佐賀純一の本の英語版から言葉を拝借して歌詞に使ったのではないかと言われていた(その著書『浅草博徒一代』は日本に関心のある外国人たちから高く評価されている)。ぼくはそのころ、幸運にも佐賀先生に電話インタビューする機会に恵まれたのだが、たしか彼は、ディランに言葉を使ってもらえたなら光栄だし、新しいメディアで世に出れば、より多くの人に届けられるからいいことだと思うと話してくれた。とても感じのいい反応だったし、ぼくとしても佐賀先生の作品の読者が増えたことを願っている(ぼくが強くおすすめしたい作品は『田舎町の肖像』だ)。なんといっても、彼はノーベル賞受賞者をインスパイアした男なのだから。
1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。著書に『「ニッポン社会」入門』、『新「ニッポン社会」入門』、『驚きの英国史』、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>』など。最新刊は『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(小社刊)