2016.02.22
ぼくの家のすぐ近くに、中世の小さな修道院の跡がある。いい場所だ。芝生があり、ベンチがあり、木が繁っている(西洋ナシの木もあって、ぼくは秋になると実を取りに来る)。
ここにあった教会の建物は、16世紀にヘンリー8世が行った国家的な破壊行為(「修道院解散」の呼び名で知られる)を生き残った数少ない建物のひとつだった。だが不運なことに、その100年ちょっとあとのイングランド内戦のとき、王党派がここに隠れた。議会派が教会を爆破し、跡だけが残った。
あなたが歴史に関心があるなら、この修道院跡はぼくの住むエセックス州コルチェスターで行ってみる価値がある場所のひとつだ。
先日、修道院跡の前を通りかかったら、敷地の入り口につながる門の前に観光客がひとり、ぽつんと立っていた。門は閉まっていた。観光客はがっかりした様子で、見学できる時間が書かれた看板を何度も読み返していた。本当なら門は数時間後まで開いているはずだった(門は夕方になると閉められる。街の中心部のこういう場所には、酔っ払いや麻薬常用者が寄りつきがちだからだ)。
ぼくは観光客を助けてあげたかったが、なんと言っていいものか困ってしまった。「開いているはずの時間だけど、開いていないんですよ」と言っても、ほとんど意味がない。
そこから歩いて1分ほどの自宅に戻ったら、修道院跡のほうから今まで聞いたことのない変な騒音がした。
いったい何が起きていたのか。ふたつの「ミステリー」の間に、なんの関連があるのだろう?
推測だが、あの騒音は修道院跡にある大きな木が剪定されたことによるものだろう。枝がどっさり地面に落ちる。だから、敷地全体が閉鎖されていたのだ。
これはイギリスで「ヘルス・アンド・セーフティ(衛生と安全)」と呼ばれるものだ。ほんのわずかでも危険がある場合、企業や自治体は信じがたいほどの予防措置をとる。
枝が落ちてくるときにわざわざ木の下に座っていたい人はいないはずだが、人々はそこまで信用されていない。剪定する木のまわり(敷地全体の2%くらいだ)にテープをはりめぐらせるだけでは十分とはみなされず、敷地全体を立ち入り禁止にしてしまう。
イギリス人は「ヘルス・アンド・セーフティ」にまつわるバカバカしい経験を、互いに語り合う。ぼくが気に入っている話(つまり、いちばん腹が立った体験)は、数年前に「ヘルス・アンド・セーフティ」がらみで初めて味わったうちのひとつだ。
ぼくはパブに行って、食事をしながらサッカーをテレビで見たかった。ところがパブの人に、それはできないと言われた。テレビは1階にあって、厨房は地下にある。しかも、料理を運ぶ小さなエレベーターが壊れていた。「食事は下で、テレビは上でということになるね」
「料理を階段で上まで運んでもらうことはできませんか?」と、ぼくは頼んだ。「だめ。ヘルス・アンド・セーフティの決まりがあるから」
「じゃあ、自分で運びます」と、ぼくは言った。これも許されなかった。
イギリスに住んでいれば、これに似たシュールな経験を誰もがするだろう。
階段をほんの数段上がって料理を運んだからといって、誰かがけがをする可能性はきわめて低い。だがパブを運営する会社にとって、これは負うべきリスクではない。もし事故が起きたら、この会社には賠償責任が生じる。お金欲しさに、わざと階段で転ぶ人がいないともかぎらない。そのため会社側にすれば、規制にのっとって自分たちを守ったほうが得策なのだ。その規制がどんなにバカバカしいものであっても。
修道院跡の門の前に立ち尽くしていた観光客にぼくが言ってあげられるのは、申し訳ないけれどイギリスはバカバカしい場所なんだということくらいだ。
1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。著書に『「ニッポン社会」入門』、『新「ニッポン社会」入門』、『驚きの英国史』、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>』など。最新刊は『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(小社刊)