三賢社

— Web連載 —

中村伸の寄席通信 | 三賢社のweb連載

第1回
寄席は再開したものの……

2020.08.23

6月1日から新宿末廣亭と浅草演芸ホール、7月1日から上野鈴本演芸場と池袋演芸場が営業を再開した。新型コロナウイルス流行のため、4月4日以来、数か月にわたって4軒とも休席していたのだ。

何が起ころうと休席などしない東京の寄席が、これほど長期間にわたって木戸を閉じていたのは初めてのこと。3.11の東日本大震災の影響で公共交通機関が大混乱していた時期でさえ営業を続けた寄席もある。

さて、再開したといっても、ご存知の通り感染症対策のためのガイドラインを受け、入場者数を極端に制限している。自分の座る席の前後左右には誰もいないという、「市松模様」のような配席。再開当初は、さらに1列ごとに着席禁止ゾーンを設けるほどの気の遣いようで、まさに試運転のようなスタートだったことを付け加えておきたい。

それでも、5月半ばには感染者数が激減していたこともあり、柳家喬太郎師匠がトリをとった「芝居」(新宿末廣亭6月上席夜の部、寄席の符丁でプログラムとか番組のことを「芝居」と呼ぶ)には大勢の人が訪れ、昼夜入れ替え制にして早い時間から整理券を配布したほどだ。

これで夏前にはコロナ騒ぎも一段落し、徐々に平常に戻っていくのかと思った矢先、感染者数が急激に増えだした。7月5日の東京都知事選の投票日を前にぐっと数が増え、その影響を真に受ける形で、平日だろうと賑わいそうな「芝居」なのに気の毒なほど空いていることもあった。

入場前に検温・アルコール消毒をし、客席にも全員マスク着用が義務付けられ、上野鈴本ではふだんとは異なり上演中の禁酒・食事の禁止まで訴えている。小まめに休憩をとり、劇場の扉や窓を開け放って換気も行っている。入場者数も制限し、ふだんの半分弱しか客席を使っていないので、密になるというほどのこともない。だから、客席に座ってしまえばリスクを感じることはほとんどないし、ふだんよりもゆったり座れるので、むしろ居心地がいいくらいだ。

それでも、往復の交通機関が心配、繁華街での外食が……というので出控えてしまうのもわかる。とくに、寄席を支えていた年配のお客さんが、万が一の感染を恐れて動けなくなってしまったようだ。

2年前、『寄席の底ぢから』(2018年7月刊)を書いたのは、3.11震災後の寄席の不入りを見てショックを覚えたことがきっかけだ。2011年のあのときもお客さんが戻るまでずいぶん時間がかかったが、今回はそれ以上に状況が悪いかもしれない。感染収束の見通しがまったく立っていないからだ。

だから、本音としては「寄席が大変です。応援に行きましょう」と言いたいところなのだが、今はそうも言いにくい。

というわけで、寄席があることを忘れず、いつか晴れて外出できる日が来たら訪ねてもらいたいという願いを込めて、今の寄席の様子や、私なりに感じている寄席の魅力や思い出などを、このコラムを通して伝えていきたいと思っている。

寄席は再開したものの…… | 中村伸の寄席通信

再開して数日後の新宿末廣亭の様子。

中村伸の寄席通信 | 中村伸 なかむら・のびる

中村伸なかむら・のびる

1961年東京生まれ。出版社勤務からフリーランスに。編集者、伝記作家。著書に『寄席の底ぢから』(三賢社)。落語は好きで、DVDブック『立川談志全集 よみがえる若き日の名人芸』(NHK出版)や、『談四楼がやってきた!』(音楽出版社)の製作に携わる。ほかに水木しげる著『ゲゲゲの人生 わが道を行く』、ポスターハリスカンパニーの笹目浩之著『ポスターを貼って生きてきた』、金田一秀穂監修『日本のもと 日本語』などを構成・編集。