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中村伸の寄席通信 | 三賢社のweb連載

第18回
寄席のお盆興行を見にいく

「まことに歴史的な一ツ時であった。頭の重く痛く悪夢より覚めたる如し。(略)心の一隅にては生命の安全を欣(よろこ)んでゐるのではあるまいか。吾れながら浅間敷(あさましき)と想ふ」(瀧口雅仁編『八代目正蔵戦中日記』青蛙房より)

八代目林家正蔵師(のちの彦六)の日記に書かれた昭和20(1945)年8月15日の記録です。翌日、「(この日から)三日間は娯楽ものを謹んで休業す」とも書いていますが、これが社会的な措置だったのか、彦六師自身が決めたことなのかわかりません。

8月はどうしようもなく戦争を思い起こさせる季節です。炎暑の太陽やノドの乾きが、その思いを助長します。その反動なのか、寄席でひとときを過ごしたくなります。

もちろんコロナも怖い。幸いにも8月初旬に2度目のワクチンを接種することができたので、ちょっと間を置いて中席(11~20日)のお盆興行にいって楽しんできました。

新宿末廣亭では、春風亭昇太師が主任をつとめる夏恒例の興行がありました。前半は若手といぶし銀のベテランが入り混じった昭和・平成の寄席、仲入り(休憩)をはさんだ後半は元気のいい爆笑派をずらり揃えた令和の寄席といった風情です。

見たのは平日でしたが、同じようにワクチン接種を済ませたと思われる年代の方が詰め掛け、席数を半分に絞った形ではありますが、途中で2階席も開くほどの賑わい。夏休みシーズンらしく子連れの方もいます。

序盤に出てきた新二ツ目の桂しん華さん(しん乃改め)は、独特ののっそりとした愛嬌が持ち味の女性落語家で、桂伸治一門の隠し玉的な存在。二ツ目昇進披露の高座ということもあり、「私は朝が苦手ですが、昼と夜も苦手です」と妙に後ろ向きな自己紹介で笑いをとったのち、兄弟子の桂宮治師のお株を奪うような茶目っ気のある「猫の茶碗」で客席を沸かせます。

「しん華さんが長くやっちゃったから、持ち時間が7分しかない」とコボしながら、緊張すると喋れなくなる新入社員の面接ネタで客席をひっくり返した春風亭昇々師。浮気やヤキモチの小咄を振ってから客席に子どもの姿を発見し、「こんな話してごめんね、お母さんにヘンな質問しないでね」と詫びをいれながら、本妻とお妾さんが張り合う「権助提灯」をやった三笑亭夢丸師。「青菜」「粗忽長屋」とおなじみのネタが出たところで前半は終了。

後半は春風亭昇羊さんの元気なクイツキの高座で幕開け。俗曲の桂小すみ師が「さわぎ」「さつまさ」など落語家の出囃子でもおなじみの唄のあと、「猛暑に働く冷蔵庫への感謝を込めてつくりました」とハワイアン風の冷蔵庫の唄を披露し、これもバカ受け。桂宮治師の「お菊の皿」には、数万人集めた興行会場の退路を絶って観客を恐怖のどん底に陥れるブラックお菊が登場。浪曲の玉川太福さんは無法者が大活躍する「天保水滸伝」を口演し、息つく間もなく時間が過ぎていきます。ボンボンブラザース先生の小粋な曲芸をはさんで、これ以上ない雰囲気の中で主任の昇太師が登場。東京では夏の大ネタに分類される「不動坊」をたっぷりと演じ、期待に応えてくれました。

浅草演芸ホールの「納涼住吉踊り」も楽しかった。主任の落語の後、数十人の落語家や色物さんら芸人が入れ代わり立ち代わり出演する約45分間の踊りのショーがある夏の人気公演です。ふだんの年ならばびっしり立ち見も出て大賑わいになるのですが、今年はゆっくり座れるくらいの入り。コロナ禍でもっとも影響を受けたのが浅草かもしれません。それでも正月興行の閑散とした様子と比べて入りがいいのは、いくらかワクチンが普及したからなのでしょう。お客さんがとびきり明るかったのが救いです。

ショーが始まるまでの数時間、短めの持ち時間ながら人気者や大ベテランの師匠・色物さんが入れ代わり立ち代わり出演します。最近の寄席の特長は短い時間でもきちんと落語や講談を聞かせようとするところ。古今亭文菊師「つる」、春風亭一之輔師「のめる(二人癖)」、桃月庵白酒師「粗忽長屋」、柳亭市馬師「芋俵」など、寄席ではおなじみのネタを、言葉の一つひとつにまで神経を尖らせ、ここまで磨くのかというような出来栄えです。こういうタッチの落語は寄席でしか聞けません。

三遊亭圓歌師の根問いもの(ものの名前の由来を問い、隠居がいい加減に答える)、大ベテラン・鈴々舎馬風師の昔の落語家の思い出話にも、寄席らしい味わいがあります。


朝10時30分の開演から、ショーが始まる15時15分まではいわゆる寄席興行で、計26組の芸人さんが次々に登場します。最初から見ると、ここまでですでにお腹いっぱいになるかもしれません。落語協会の興行ですが、長年の習わしで、住吉踊りに出演する落語芸術協会所属の芸人さんの高座もあります。

仲入り休憩後に、今年のリーダーをつとめる三遊亭とん馬師、立花家橘之助師、古今亭志ん彌師の、やはり短めの高座があり、その後に一転して住吉踊りが始まります。「越後治師」「奴さん」「深川」といった昔ながらの舞踊もありますが、面白いのはその間にはさみこまれるコントやパフォーマンスのコーナーです。背景の大きな戸襖が開き、そこから大勢の水の精が現れ、オリンピックに合わせた演出なのでしょう、海水パンツ姿の男たちがアーティスティックスイミング(昔のシンクロナイズドスイミング)風のパフォーマンスあり、上手から下手へと泳いでいくウォーターボーイズありで、ちょっと学芸会的な面白さ。羽織を着た幇間がぞろぞろと出てきて旦那役とお座敷遊びを演じ、最後は大ハリセンで旦那役の師匠を張り倒すコントも寄席らしい。このところ若手の参加者も増え、たまに踊りが合わなかったりするのもご愛嬌です。

締めは次々に踊り手が変わる「かっぽれ」の総踊り。それがどんなものだかわからない方は、youtubeなどで映像を探してみてください。コロナ禍の今年、最後に記念撮影コーナーがあり、出演者の写真を撮ることができました。

同じ浅草演芸ホールでは、下席(21~30日)夜の部の仲入り休憩後、戦争中に禁演落語として封じられていた女郎買いのネタ、浮気ネタなどを掘り起こして口演する会が催されています。

さて、たまたま大河ドラマで幕末から明治が描いているのでお気づきの方もいるでしょうが、江戸時代が260年ほど続いたのと比べで、1868年の明治維新から1945年の終戦まで、たったの77年しかありません。紆余曲折の末に、たった77年で日本の大都市は壊滅的な被害を受け、多くの人びとが戦災で倒れます。2021年の今年は、そこから76年目に当たります。

7月のオリンピック開催前から不安視されていた首都圏の状況は、秋を目前にしても改善の気配さえありません。それでも暴力や恐怖や飢えが支配したあの時代に比べればマシではあるのでしょうが、コロナの影響やそれ以外の理由もあって、世界の混乱は悪いほうに舵を切り始めてもいます。とりあえずはマスクの着用・消毒・手洗いなどの細心の自衛手段をとったうえで、できることなら新聞を読みニュースも見て、できるだけ正しく幅広い情報を仕入れておきましょう。選挙になったら投票もしましょう。

世知辛いことを言うようですが、愛しい大衆娯楽をこの先も見続けていきたいのならば、一つひとつの細かいことの積み重ねが大事なような気がしています。

本来ならば明るい寄席通信を書きたかったところですが、今回はこのへんで。

寄席のお盆興行を見にいく | 中村伸の寄席通信

夏の浅草演芸ホール恒例「納涼住吉踊り」の出演者。前列左より、金魚、菊春、志ん彌、橘之助、吉窓、後列左より、紅、とん馬、昇也、ときんの各師。

中村伸の寄席通信 | 中村伸 なかむら・のびる

中村伸なかむら・のびる

1961年東京生まれ。出版社勤務からフリーランスに。編集者、伝記作家。著書に『寄席の底ぢから』(三賢社)。落語は好きで、DVDブック『立川談志全集 よみがえる若き日の名人芸』(NHK出版)や、『談四楼がやってきた!』(音楽出版社)の製作に携わる。ほかに水木しげる著『ゲゲゲの人生 わが道を行く』、ポスターハリスカンパニーの笹目浩之著『ポスターを貼って生きてきた』、金田一秀穂監修『日本のもと 日本語』などを構成・編集。