先日、テレビ東京系列の番組「新美の巨人たち」で、新宿末廣亭が紹介されていました。古今の特長ある建築物や美術館、作家にゆかりのある場所を訪ね、美のあり方や作家の人生を掘り下げる番組なのですが、そこで寄席の建物が取り上げられたのは初めてのこと。
創業者の北村銀太郎氏(1890~1983)は宮大工で、寄席も好きだった人物。空襲で焼け跡だらけだった東京。場所がなければ芸人が活躍する場もないというので、敗戦翌年の1946(昭和21)年、新宿に自前の寄席をつくります。それは木造の昔ながらの建物で、欄間や窓枠にも当時としては贅沢なほどに繊細な彫刻を施し、後に2階部分を増築したものの、築75年目の今も当時の姿をほとんどそのまま見ることができます(詳しくは著書『寄席の底ぢから』をご参照ください)。
番組には落語家の柳家小三治師、林家たい平師、講談の神田伯山先生、寄席文字橘流の家元・橘左近氏も登場し、新宿末廣亭が芸人や関係者にとってどれほど大切な場所なのかを語っています。BSテレビ東京10月2日(土)23:30~24:00にもう一度放送されるので、ご覧になれる方はぜひ。また、番組ホームページのバックナンバーに「取材風景」として収録の様子が写真入りでレポートされていて、こちらも見ものです。
そんな番組を見た直後、いい顔ぶれだったので9月下席(21~30日)の夜の部に行ってみました。落語芸術協会の芝居で、主任は桂米丸門下の実力派・桂米福師がつとめ、前方には講談界の人間国宝・神田松鯉(しょうり)先生や弟子の神田伯山先生、若手落語家の柳亭小痴楽師、爆笑派の桂竹丸師、漫才のナイツ先生、曲芸のボンボンブラザース先生らが顔付けされています。
私が行ったのは放送翌々日の9月27日月曜日でしたが、演者のネームバリューと番組放送との相乗効果なのでしょう。緊急事態宣言下で客席を50パーセントに制限し、間隔を開けていたこともあって、17時の開演時間には早くも2階席まで埋まるほどの賑わいでした。ずっと2階にいたのでよくわからないのですが、平日にもかかわらずこの日、最終的には満席札止めになったようです。
見慣れている人以外、定席の番組がどんなふうに進むのか見当つかないと思うので、この日の番組を簡単に振り返っておきましょう。
二ツ目の桂笹丸さんは、長めのマクラを振った後に、旦那と小僧が互いに隠れて味噌豆の味見をし、旦那が便所で味噌豆を食べているところを見つかる「味噌豆」という小咄(こばなし)のような落語。
太神楽の鏡味小時・春本小助先生は、「一つ鞠」と呼ばれる鞠を使ったバランス芸と和傘の上で鞠や金輪、升を回す「傘の芸」を披露。2人は国立演芸場の養成所出身の若手で、ボンボンブラザース先生の弟子。春本の家号(やごう)は、往年の「一つ鞠」の名人だった春本助次郎(1895~1942)先生の名を継ぐもので、若い小助さんは今、その「一つ鞠」を磨いている最中なのでしょう。
ここから真打の出番。三笑亭可龍師は、純朴な男が辰巳芸者(深川の芸者のこと)に手玉にとられる「辰巳の辻占」をしっとりと。
円楽一門の交互枠で出てきた三遊亭兼好師は、「あいかわらず明るいニュースがありませんよね。大谷翔平と将棋くらいでしょうか」なんてマクラから、髪結床(今の床屋)の待合所で男たちがバカ話をする「髪結床」という落語の将棋のくだりをさらりと。王将の駒がないまま互いにヘボ将棋を打っていたという噺(はなし)です。
出番の入れ替えもあってナイツ先生が早めに登場し、帰国した小室圭さんや話題の大谷翔平選手を取り込んだ時事ネタで湧かせます。
桂文月師は「終わりのない噺を一席」と、身投げをする娘、慌てて飛び込んだそば屋など、会う人すべてに目鼻がない「のっぺら坊」という落語。
桂竹丸師は、得意の漫談で会場を湧かせるだけ湧かせてサッと降りるという、これまた粋な高座。
代演で登場した漫談のねずっち先生は、北海道の「愛国」駅で見たことやら、嫁とのエピソードを軸に「謎かけ」の数々を披露。最後は客席から謎かけのお題のリクエストをとり見事に返す、自称「今日もすばらしい出来」の高座でした。
前半最後は講談の神田松鯉先生が、「天野屋利兵衛は男でござる!」で有名な利兵衛と、赤穂藩主・浅野内匠頭、城代家老・大石由良之助とが深く結びつくきっかけを描いた「赤穂義士銘々伝 雪江茶入れ」の一席。これを20分ほどで読み、19時をちょっと過ぎたあたりで仲入り休憩。ここまで、あっという間の流れです。
後半のクイツキは、柳亭小痴楽師の「二人癖」。「つまらねえ」が口癖の嫌味だが頭の切れる男と、「一杯のめる」が口癖のぼーっとした男。悪い口癖をやめるために金を賭けたが、相手にそれを言わせたいがために罠をかけるという、別名「のめる」は寄席では超定番の落語の一つ。それを新鮮に聞かせてしまうところが、若き師匠の持ち味。
代演で登場した漫才のおせつときょうた先生。大阪出身で、漫才協会ではおぼん・こぼん先生のお弟子さんだそうですが、テンポが良くてとても気持ちいい。しかも、師匠コンビとは違って、今のところコンビ仲も良いらしい。
やはり代演で出てきた古今亭今輔師。「何の心構えもなく出てきて、(この大入りを見て)怯んでいます」と言いながら、クイズ好きの師匠らしく、人質をとって籠城する強盗を、クイズ好きのデカ(警部)が難問クイズを連発して落とすという「雑学デカ」で見事に湧かせます。
人気講談師・神田伯山先生は、「ヒザ前の出番というのは、あまり賑やかでもいけないし、つまらなくてもいけない、難しい出番なので」と、歌人・西行(さいぎょう)が播磨国(現在の兵庫県)にある鼓ヶ滝で詠んだ歌を、農家の爺さん、婆さん、孫娘に直される「鼓ヶ滝」の一席。
主任(トリ)の前のヒザは、大ベテランの曲芸・ボンボンブラザース先生。賑やかな寄席囃子をバックに、輪を投げ、鼻にコヨリを立てたまま歩きまわり、高所から落としたワイングラスと盆を見事にキャッチするなどの芸を立てつづけに演じます。換気のために窓を開けていて風が入ってくるのか、コヨリの芸は今はやりにくそう。
主任の桂米福師は、東京の寄席では珍しい「茶金」の一席。京都・清水寺の音羽の滝の前にある茶店で、首をかしげながら茶を飲む目利き師・茶金の姿を見た江戸っ子の油売り。茶金が首をかしげただけで100両の値打ちがつく、これは儲けのチャンスだと、その茶碗を3両で買い取り、茶金が営む道具屋に持って行くと、傷もないのに水が漏るから不思議だなあと思ったのだと聞かされびっくり。「それでも私の信用に3両の値をつけてくれたことは嬉しい」と、茶金はそのキズ物の安茶碗を3両で買い取ってくれます。その噂が広がり、お公家様や天子様がその茶碗で愛で、天子様が万葉仮名で「はてな」の箱書きを入れたことで、一気に安茶碗に値が付くという噺。大阪では「はてなの茶碗」の名で演じられ、亡くなった桂米朝師の十八番の一つだった落語で、のんびりした京都人と利に聡い大阪人の対比で聞かせる落語。「茶金」は主人公が江戸っ子なので、それとは微妙に風合いは違いますが、物語そのものの荒唐無稽さに変わりはなく、オチも意外です。
さて2階席の目の前の壁面に、銘はないものの役者の姿がよく描かれた歌舞伎「勧進帳」の絵がかかっていて、これも値打ちものかもしれないと思ったりしたのも「茶金」という噺のせいだったのかもしれません。新宿末廣亭の2階の壁面には、気になるものがいくつも飾られているのです。
17時前に始まった興行の終演は20時40分。延べ約4時間の間に16組の芸人さんが出て、木戸銭(入場料)は大人3000円。ふだん、地域の公会堂やホールの落語会しか行かない人には、想像しがたい、理解できないような密度でしょう。持ち時間の長い大阪や神戸や名古屋の寄席とも味わいが異なる、東京ならではの文化・風習なのだと思います。ちなみに今は場内での飲食禁止なのでそんなことをする人もいないでしょうが、昼12時開演の昼の部から、夜の部の終演まで居続けても木戸銭は同じです(昼夜入れ替えのある特別興行を除く)。
10月1日~10日まで、同じ新宿末廣亭で落語協会の新真打披露興行があり、昼夜入れ替えのある特別興行ですが、こちらも賑わいそう。古今亭志ん雀(志ん吉改め)師、柳家さん花(小んぶ改め)師、柳家緑也(緑君改め)師、柳家花いち師のフレッシュな高座を、この機会にぜひ。
戦後すぐに建てられた築75年目の小屋ですから、ここで落語を聞いたことがある人だけで、すでに5代、6代にわたっているはず。生きている文化遺産を、これからも生かしつづけるために、秋、冬、二度と再び疫病が蔓延しないことを、寄席ファンとしては祈るばかりです。
終演後、外に出て寄席の名残りを惜しむ人々
1961年東京生まれ。出版社勤務からフリーランスに。編集者、伝記作家。著書に『寄席の底ぢから』(三賢社)。落語は好きで、DVDブック『立川談志全集 よみがえる若き日の名人芸』(NHK出版)や、『談四楼がやってきた!』(音楽出版社)の製作に携わる。ほかに水木しげる著『ゲゲゲの人生 わが道を行く』、ポスターハリスカンパニーの笹目浩之著『ポスターを貼って生きてきた』、金田一秀穂監修『日本のもと 日本語』などを構成・編集。