先日、ふらりと昼間の新宿末廣亭に行ってみました。トリは柳家小満ん師匠。もともとは「黒門町」とよばれた八代目桂文楽師に入門したのですが、師匠が他界し、五代目柳家小さん一門に加わった方。今の九代目桂文楽師匠は兄弟子に当たります。
小満ん師匠は、ふだんは色鮮やかな着物で高座に上がることが多いのですが、この日は文楽師と同じ黒紋付きの着物と羽織で登場。伊勢詣りを先導する「御師(おんし、おし)」とよばれる人々が、講中(この場合は、伊勢詣りツアーの参加者グループ、といった意味)の家々に伊勢暦を配り、厄払いをするために江戸市中を走りまわるから「師走」ということばが生まれた(諸説あります)。世の中にはいろいろな職業があるが、中でも難しいのは宴会や芸者遊びの取り持ちをする幇間、太鼓持ちという稼業で……、というようなマクラを語りはじめたので、これはもしかするとと思ったら、やはり黒門町十八番の「富久」でした。
酒でしくじることが多い幇間の一八が、富くじを買い、家にある大神宮様(=伊勢神社)のお宮に富の札を納め、酔って寝てしまう。その晩、芝にある旦那の家のあたりで火の手が上がる。飛び起きて火事見舞い行くと、それまでのしくじりを許され、酒をごちそうになる。酔って寝てしまうと、こんどは浅草にある一八の家のあたりで火の手。慌てて駆け戻ると家は丸焼け。買っておいた富くじが千両の大当たりをするが、証拠の富の札がないからお金は渡せないといわれ……。というような物語。大河ドラマ「いだてん」でも出てきた落語なので、覚えている方も多いでしょう。落語には珍しいくらいにドラマチックな物語を聞きながら、いい日に来たものだと思いました。
勤め人だった時代には、年末ぎりぎりまでバタバタして気持ちに余裕がなく、12月に寄席や落語会に行くなんて思いつきもしませんでした。もったいないことをしたと気づいたのは、後日のこと。落語には「富久」のほかにも、年の瀬を舞台にした大ネタや名作が多く、この時期の寄席や落語会ではそうしたネタがよく高座にかかります。大晦日の借金取りを追い返す「掛取り」や「睨み返し」、大晦日の晩に借金取りが来ないことが夫婦の会話のきっかけになる「芝浜」、暮れの大掃除の場面が大きな意味をもつ「柳田格之進」、冬の寒い晩が舞台となる「うどんや」「二番煎じ」など、まあ1月や2月に聞いてもいいのだけれど、どうせならばこの時期に聞いておきたいネタ、演目が目白押しです。
近頃は講談の先生方が寄席のトリや仲入り前の大事な出番をつとめることも多く、極月十四日の打ち入れの日にちなんで、赤穂義士伝の名場面に触れることもできます。
一方、新作や改作を得意とする若手がトリをつとめる賑やかで楽しい番組もあり、こちらも演芸好きにとっては見もの。
出演する師匠や先生方は一様に、いい形で一年をお開きにしようと高座をつとめます。というのも、月が替わって正月の初席(1~10日)、二ノ席(11~20日)は、1年の初めの顔見世興行となり、大勢の演者を高座に上げるために一人ひとりの持ち時間がぐっと短くなる。それはそれで楽しいのですが、物語を聞いて楽しむにはあまり向いていません。
というわけで、もし気持ちにゆとりがあるならば、寄席に行くでも配信で聞くでも構いません。師走のこの時期に、ぜひ落語や講談に触れる時間をつくってみてください。
12月上席の新宿末廣亭にて
1961年東京生まれ。出版社勤務からフリーランスに。編集者、伝記作家。著書に『寄席の底ぢから』(三賢社)。落語は好きで、DVDブック『立川談志全集 よみがえる若き日の名人芸』(NHK出版)や、『談四楼がやってきた!』(音楽出版社)の製作に携わる。ほかに水木しげる著『ゲゲゲの人生 わが道を行く』、ポスターハリスカンパニーの笹目浩之著『ポスターを貼って生きてきた』、金田一秀穂監修『日本のもと 日本語』などを構成・編集。