2020.09.26
寄席演芸の中でも「紙切り」と「音曲」には、季節の風物を感じさせる「季語」のような趣があります。この時期、紙切りの師匠ならば「とんぼ」「秋刀魚」「彼岸花」「神輿」などを切る機会が多いでしょうし、音曲の師匠ならばナスとカボチャが喧嘩をする「なすかぼ」なんて曲を唄ってくれるかもしれない。
ふだん俳句でもやっていなければ季語や季節に疎くて当たり前ですが、「言われてみればそんな時期だなあ」と思うだけでも寄席に来た甲斐はある。どうかすると丸一日寄席にいても、季節感のある落語が一つも出ないこともあり、紙切りと音曲は貴重な存在です。
そういえば、コロナ禍で春先の寄席が休席になっていた今年、紙切りの師匠たち「花見」「鯉のぼり」「初鰹」といった春の風物を切る機会がなかったそうです。5月、6月にあったリモート中継の落語会に出演した林家正楽師匠が、そんなことをしゃべった後で「季節外れですが、寂しいのでここで切っておきますね」と切りはじめたのを覚えています。
さて、紙切りのリクエストを客席から募る寄席では、その日次第でどんなお題が出てくるかわかりません。すぐに絵をイメージできるようなものならばいいのですが、何とも言えないお題が出ることもあります。そういう時の正楽師匠の様子を見ているのが、じつはとても楽しい。
誕生日というリクエストが出た日、師匠は注文主にまずは「どなたの?」と尋ね、「娘の」の答えに「ほうほう」と頷きながら、「お幾つになるんですか?」と問い返しました。そんなふうにやり取りしながら、どんなふうに仕上げればいいのか、絵柄を考えていたのでしょう。紙を切りながら、「こんなヘンなお客さんがいた」とか「首を振らないと新聞も読めない」など、たいていは何かおしゃべりをするのですが、こういう時には余計なことはしゃべりません。「誕生日……誕生日……そう、アタシが一番得意なご注文は、誕生日なんですよ」みたいな感じで客席を和ませる。仕上がったものはバースディケーキを囲む家族でした。ひょっとしたらケーキの上に立てた蝋燭の数を、その子の年齢に合わせていたかもしれません。
地方の落語会などでは、歌舞伎の「藤娘」を切ってそれが見事だと、もらえるものはもらいたい、という気分になるのでしょう、「私にもお願いします」というような声が上がったりすることもあるようです。東京の寄席では、さすがにそんな声は上がりませんが、もっと厳しいリクエストも出る。
正楽師匠は、この9月21日に上野鈴本演芸場から始まった五代目三遊亭金馬襲名披露興行に出演し、新宿、浅草、池袋と帯同してまわります。そこでもきっと、「お笑い三人組」とか「三代目金馬」のような難しい注文が出るのでしょう。芸歴の長い師匠ですから、そんな時に何をしゃべりながらどんな作品をつくるのか、ちょっと楽しみです。
ちなみに寄席の紙切りは大正時代に始まったもの。長野県出身の落語家だった初代林家正楽師匠(1895~1965)が、睦月家林蔵を名乗っていた二ツ目時代に珍芸大会の余興として披露したのが始まりです。後にお客からお題をもらって切るというスタイルを打ち出して本業へと高め、上方ゆかりの名跡・林家正楽を襲名して「正楽といえば紙切り」といわれるほどに芸と名を確立させたのです。「春日部の正楽」の名で知られた二代目正楽師匠(1935~98)もやはり落語家志望でしたが方言が直らず、初代に入門して紙切りに転向して人気を博した人。当代の正楽師匠(1948~)は、二代目のお弟子さんです。
初代が余興で紙切りを披露したのが大正7(1918)年暮れのことなので、三代で早くも百年以上の歴史を築いたことになります。
当代の林家正楽師匠に切ってもらった「夕立ち」
1961年東京生まれ。出版社勤務からフリーランスに。編集者、伝記作家。著書に『寄席の底ぢから』(三賢社)。落語は好きで、DVDブック『立川談志全集 よみがえる若き日の名人芸』(NHK出版)や、『談四楼がやってきた!』(音楽出版社)の製作に携わる。ほかに水木しげる著『ゲゲゲの人生 わが道を行く』、ポスターハリスカンパニーの笹目浩之著『ポスターを貼って生きてきた』、金田一秀穂監修『日本のもと 日本語』などを構成・編集。